合格体験記

絶望の淵

はじめに

こちらの記事はこのブログを始めた一番最初の記事「プロローグ」の続きとなっております。

こちらをお読みになっていただいてから、本編へどうぞ!

本編

ただただあてもなく、車を走らせ続けた。

流れゆく景色が視界に入ってくるが、味気ない歪で無機質な空間にいるようだった。

会社から、関わる人から、社会から逃げている感覚ではなく、ただ何も考えず、頭を真っ白にしたいだけだった。

それでも色んな情報や妄想が頭を占拠し、それを振り払おうにも、どうにもならない状態。

それに呼応するかのように、波打つ心臓。

車を運転するのも、限界に近づき、開店寸前のリサイクルショップの駐車場に一先ず停車した。

運転という理性的な行動に伴う脳の働きが止まった瞬間、さらなる膨大な不安が押し寄せた。

止めようにも止まらない涙。

ただギリギリ自分の状態が精神的にも身体的にも限界だということは認識できた。

自分が異常な状態であるということを、かろうじて認識出来たことは、今思えば命を保つ最後の砦だったと思う。

そしてその状態を認識出来、心の奥底では生きたいと思っていたからこそ、この状態から少しでも脱したいという願いが生まれた。

心が壊れた時に、生死を分つ部分は、壊れた自覚が得られるか否かだと思う。

壊れたことを自覚できなければ、意味もわからず暗闇の放り出され、一生彷徨い続ける感覚に陥り、絶望の中、最悪の決断を選択する可能性が高い。

ただ壊れたことを認識出来れば、修復できる可能性に気づくことができる。

この時点で壊れた理由はどうでも良い。ただ壊れたことに気付くことが重要なんだと思う。

まさに「絶望の淵」とはこのこと。

そして職業が医療系であり、それが幸いにも次の決断に直ぐに結びついた。

「そうだ、病院に行こう。」

大手鉄道会社のCMのキャッチフレーズのようだが、行き先は京都でなく病院。

私に必要なのは、旅行による癒しではなく、受診による治療なのだ。

ただ医療職だからこそ、心の病で病院に掛かるハードルの高さはよく分かっていた。

精神科や心療内科は、ほとんど予約制ですぐには受診出来ないことが多い。

それでも今の自分には受診よる治療が必要なのだ。

スマホで「精神科 心療内科 受診」を検索してみると、

多量の検索結果が出てくる。

そしてその一番上にはオンライン受診の文字が。

サイトを見てみると、WEB上で問診に答えると、受診可能かどうかメールで答えが来ると。

藁にもすがる思いで、問診を行い、送信。

すると数分後に受診可能なため、予約の電話をするようにとのメールが届いた。

すぐに電話を掛け、再度自分の状況を伝えると、「すぐに受診してください。受診は電話で可能です。何時が良いですか。」と。

できるだけ早く受診したい旨を伝えると、「たまたま15分後に空きがあるので、先生から電話をしてもらいます。」とのこと。

電話を切り、藁をも掴む思いで藁を掴めたことにより、少し落ち着きを取り戻している自分が居た。

しかしそれも束の間、今度はあれだけ望んでた受診への不安が一気に押し寄せた。

「何を聞かれるのか。」

「どんな病名を付けられるのか。」

「これからどうなってしまうのか。」

不安が妄想を駆り立て、更なる絶望の淵へと追いやろうとする。

15分という時間が、途轍もなく長い時間に感じる。

そして電話が鳴った。

「もしもし」

恐る恐る電話に出てみた。

「ひつじさんのお電話でしょうか。私は〇〇メンタルクリニックのOです。」

長い長い闘病生活が始まった。

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