合格体験記 適応障害

適応障害

受診

運よくオンラインで受診が出来、その際に対応してくれたのがO先生。

柔らかい声で、すぐさま安心感が芽生えた。

こちらの話を丁寧に聞き終わると、

「そうですか。それは大変でしたね。とにかくまずはゆっくり休むことをお勧めします。休めるように診断書も書きますので、安心してください。」

「診断書を書く際の病名は何になるんですか?うつ病とかですか?」と恐る恐る聞くと、

「いえ、うつ病ではありません。適応障害という病名になります。ひつじさんは、今の状態では会社にはいけません。とにかくまずは休んでください。」

お医者さんにはっきりと会社にはいけない状況だということを聞いた瞬間、正直免罪符を渡された気分だった。

そして少し胸の鼓動が収まるのを感じた。

自分がどれほど辛い状態か、他の誰かに分かってもらう事が、どれほどの救いだったか。

「一先ず1ヶ月間は休んでください。そして今後は2週間に1回は受診をしてください。これからのことはその時に考えていきましょう。大丈夫です。必ず楽になりますから。診断書は1週間以内にご自宅に郵送で送ります。とにかく今は休んで、お大事になさってください。」

電話を切ると、ドッと疲れが押し寄せ、車のハンドルにもたれかかってうなだれた状態でしばらくを過ごした。

いろんな事が頭をよぎった。一先ず休める安堵感、今後への不安、感情のベクトルは左右に大幅に振れ続ける。

「とにかく家に帰ろう。」

力を振り絞り、車を自宅へと走らせた。

告白

帰り道の道中、妻になんと言おう、そればかり考えていた。

病気になったこと、会社を休むこと、今後の先行きは全く見えないこと、ポジティブな要素が何もない説明をしなければならない。

真っ直ぐ帰ればそんなに時間が掛からない道のりを、ゆっくりと無駄に時間を掛けて帰った。

家に着き、玄関を入ると、いつもより早い帰宅に多少びっくりした妻。

「どうしたの?今日は早いね?なんか調子悪いの?」

妻の声を聞いた途端、再び号泣してしまった。

「仕事、行けなかった。」声を振り絞って伝えた。

「うん、最近大変だし、辛そうなの分かってたよ。大丈夫だから。どうにかなるから。もう仕事辞めな。」

なんという肝っ玉なんだろうか。(笑)

こちらの心配の向こう側を遥かに行くひつじ妻ちゃん。

休むじゃなく、辞める進言を受けるとは、夢にも思いませんでした。

そんなやりとりで涙も止まり、病院に罹ったこと、病名は適応障害だったこと、まずは1ヶ月休むことを伝える。

「1ヶ月休む!?何する?(笑)」

そんなやりとりに救われましたが、結果的には1ヶ月どころか、1年半も休む形になるとは、この時には全く思っていませんでした。

その翌日、今度は会社へ報告に。

会社に行こうとすると、動悸が激しくなり、物凄い辛く、嗚咽を繰り返していたが、

受診し、診断書も来る予定だった為、その後押しを受け、どうにか会社にたどり着く。

直属の上司に現状を伝えると、

「とにかく休め。こっちはどうにかするから。」と。

会社ではいつもニコニコやる気元気ひつじさんだった状態から、憔悴しきった状態に急激になった為、

その変化に流石に驚いた様子。

上司と話した後は、職場の誰ともできるだけ会わないように退散。

その時のことは、正直あまり覚えてないというか、思い出したくもないというのが本音です。

休養初期

休んだら楽になるかと思ってましたが、初期の頃は休むということがこんなに難しいのかと、日々苦しんでいた。

横になってても、常に頭の中ではネガティブ思考がフル回転。

いつまで休むのか、辞めるのか、辞めてどうするのか、生活は、将来は、妻は、子供たちは...。

急に休んだことを会社の人たちはどう思っているのか、無責任な奴と思われているんじゃないか...。

負のループ思考で、さらに自分が削られていく感覚。

心を患った人に対して、休めて良いななんて思うのは、絶対にやめてください。

本当に休むことが辛いんです。

特に休養初期は一見休んでいるように見えていても、実体は超絶ネガティブで辛い状態です。

ネガティブの鎖でがんじがらめにされて、縛り付けられている状態です。

外見天国、中身は地獄。

しかしとあるきっかけというか、出会いで、事態は少しづつ好転し始める。

続く。

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