2022年6月。
ある朝突然仕事に行けなくなった。
いつものように起き、いつものように身支度を整え、いつものように車へ乗り込んだ。
車を走らせ、職場へ向かう。
しばらくすると、今まで経験したことのない状態となった。
冷や汗、動悸、胸苦、焦燥感。
何が起きているのか、自分では分からなかった。
あと一つ交差点を右折すれば職場に到着するはずなのに、曲がれず、直進。
途端に涙が溢れてきた。
職場から離れると少し落ち着いた為、コンビニへ避難するように停車。
「俺はどうしちまったんだ。」
自問自答を繰り返すが、答えは出てこない。
再び車を走らせようとするも、体が硬直して動かせない。
「動け、動け。」
念じようが、頬を叩こうが、頭と体は分離されており、思うように動かない。
迫りゆく始業時間の中、しばらく自身と格闘したが、結局どうにもならなかった。
助手席にあるカバンから、愛用のノートPCを取り出し、上司へメールを打つ。
震える手で、思考も至らず、とにかく体調不良で今日は休む旨だけどうにか打ち込み送信。
ハンドルにもたれて、深いため息をつく。
ただ休む為のメールを打っただけなのに、とても大きな仕事をやり遂げたような疲労感が身体を駆け巡ったが、達成感はまるでなく、不安しか感じない。
それからまた車を走らせた。
ただただ職場から離れるように、反対方向へ車を走らせた。
涙は止まらず、胸は苦しく、心臓は弱く鼓動を打つも、その音は身体全体で鳴り響いて聞こえるようだった。
ーその前日ー
「上手くいったよ。」
外回りから帰ってきた私に上司は報告をしてきた。
新年度になり、主要取引銀行の支店長が代わり、今まで緩やかだった借入返済について、明確な計画の提示を要求された。
私は医療介護系法人の経営本部の役職と、介護事業部の責任者をしていた。
そのため、法人全体の経営計画及び各介護施設の事業計画を一手に引き受け、作成していた。
ただ計画において、現場経験者の私は定性領域での計画作成を担っており、定量部分においては、私の上司と外部コンサルタントが基本部分を作成していた。
元々数字は苦手だった。ただそのような状況ではそんなことは言ってられない。
パンデミックによる感染症の影響は、医療介護施設を深い闇へ落とした。
感染拡大を防ぐための煩雑な現場オペレーションへの変更や徹底。
感染症による入所制限による稼働率の低下。
現場の必需品であるマスクや手袋の供給不足。
現場の疲弊は日に日に増えていった。
さらに施設内で感染症が流行り出すと、近隣等からの風評被害等も発生し、肉体的にも精神的にもかなりの負担を強いれられていた。
その反面、経営面では国の支援により、融資面での優遇等がなされ、日頃のキャッシュフローの厳しさから一時的に解放された法人も多かった。
現場の疲弊とは反比例し、経営面ではかなりのアドバンテージを得ることが可能だった。
しかし感染症の流行が収まり、それまでのツケが一気に回ってきたのだ。
各事業所の状況を洗い出し、利益を最大化する計画を作成し、それを法人全体の計画に繋げ、ボトムアップ型の経営計画及び事業計画を作成し、計画達成の可能性を極限まで高めた。
医療介護系事業において、トップダウン型の計画は相性が悪い。
命を扱う現場においては定性領域、主に感情が重要視される。
極端な話、医療介護業界における付加価値の判断基準は、どれだけ命を救ったか、どれだけ笑顔を取り戻せたかというような定性評価が主であり、
経営視点でトップダウン型の定量的な計画を立て、定量評価をしようものなら、現場の反発必至であり、火に油状態となる。
「人の命や笑顔をお金に変えるんですか?」
ごもっとも。命や心からの笑顔はお金では買えない。だがそれをしないとあなたたちにお給料払えないのよ。
だからこそ定性を定量に変える、現場では命を救い、笑顔を作り出し、それを様々な経営手法を駆使してお金に換え、現場へ分配し、さらにより多くの命を救い、笑顔を作り出す、ボトムアップ好循環型の経営事業計画がベストなのだ。
ただ今回は対銀行用により定量部分の評価及び計画を高精度で出す必要があった。
その為3日間、苦手な数字と向き合い、ほぼ寝ずの状態で計画を作り上げ、どうにか銀行との折衝に間に合わせた。
それが功を奏し、銀行との折衝が上手くいったという報告。
「上手くいって良かった。これであとは計画達成に向けて、みんなで士気を上げて頑張れば...」
と思った矢先、上司から
「ところでさあ、また別の問題で少し揉めててさあ。」と。
絶望から這い上がってきたと思ったら、また絶望へ。
「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。」
ふとそんな言葉が頭をよぎった。
続く。